高杉合流
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 23:14 UTC 版)
1月11日、大田へ再び藩政府軍が大挙して襲来するも、諸隊はこれを防いだ。 同日、馬関にいた高杉と遊撃隊のもとに1月6日の勝利の詳報がもたらされる。高杉や伊藤らは、諸隊が立ち上がり、なおかつ勝利したことを非常に喜び、馬関に展開していた遊撃隊・力士隊を伊佐へ進め諸隊と合流する事を決意する。高杉は山縣への返信書簡の端に以下の狂歌を書き添えた。 わしとおまへは 焼山かつら うらはきれても 根はきれぬ 1月12日、征長軍副総督松平茂昭が小倉を離れ帰国の途につく。 1月14日、本道の呑水峠(のみずたお)で午前10時より午後2時に渡る大規模な戦闘となるも、諸隊は藩政府軍の撃退に成功する。同日、高杉らが合流し諸隊の士気は大いに上がった。山縣は兵力が寡少である為これ以上の追撃に反対したが、高杉は決戦を主張した。最終的に高杉の案が受け入れられ、赤村にある粟屋率いる前軍本営を夜襲する事に決まる。
※この「高杉合流」の解説は、「功山寺挙兵」の解説の一部です。
「高杉合流」を含む「功山寺挙兵」の記事については、「功山寺挙兵」の概要を参照ください。
- 高杉合流のページへのリンク