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高木貞利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 09:33 UTC 版)

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高木貞利
時代 戦国時代 - 江戸時代初期
生誕 天文20年(1551年
死没 慶長8年8月24日1603年9月29日
別名 彦六郎、権右衛門
戒名 祐念
墓所 岐阜県大垣市
主君 織田信長信雄徳川家康
氏族 美濃衆西高木家
父母 高木貞久、高木貞次娘
兄弟 貞家、貞利、貞秀、貞西、貞友
田中喜兵衛室、今尾氏室
西尾信光娘
貞盛、法泉寺恵済室
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高木 貞利(たかぎ さだとし)は、安土桃山時代武将美濃衆西高木家3代。

生涯

美濃国今尾城主・高木貞久の子として誕生した。父と共に織田信長に従う。

天正3年(1575年長篠の戦いでは氏家氏の隊に所属して武功があった。天正6年(1578年播磨国神吉城攻めでは織田信忠軍に属して活躍する。天正10年(1582年本能寺の変が起きると、徳川家康から明智光秀討伐の協力を要請されている。天正12年(1584年羽柴秀吉より麾下に加わるように求められるがこれを拒否し、織田信雄に人質を差し出す。織田・徳川方に属して小牧・長久手の戦いを迎え、蟹江城合戦で活躍した。天正18年(1590年)信雄が改易されると甲斐国加藤光泰の下に蟄居する。

文禄4年(1595年)家康に仕官し、上総国天羽郡周准郡に1000石を与えられる。慶長5年(1600年会津征伐では青山忠成隊に所属。石田三成挙兵の報が届くと東軍先鋒隊に附属し、井伊直政本多忠勝を助けた。慶長6年(1601年)美濃石津郡2000石に加増され、多良郷を本拠に定めた。

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