高千穂の天逆鉾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 10:11 UTC 版)
@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}一方で天逆鉾が、大国主神を通してニニギに譲り渡されて国家平定に役立てられ、その後、国家の安定を願い矛が二度と振るわれることのないようにとの願いをこめて高千穂峰に突き立てたという伝承がある。この天逆鉾は霧島六社権現の一社・霧島東神社(宮崎県西諸県郡高原町鎮座)の社宝である。この矛の由来は不明であるが、一説によると奈良時代には既に存在していたといわれる。[要出典]古来、天逆鉾を詳しく調べようとした者はいなかったが、坂本龍馬が妻のお龍と高千穂峰を訪れた際、何を思ったか引き抜いて見せたというエピソードがある。このエピソードは龍馬自身が手紙で姉に伝えており、手紙も桂浜の龍馬記念館に現存している。なお、この天逆鉾はのちに火山の噴火で折れてしまい、現在残っているものはレプリカである。オリジナルの柄の部分は地中に残っており、刃の部分は回収され、島津家に献上され、近くの荒武神社(都城市吉之元町)に奉納されたが、その後も様々な人手を転々と渡って現在は行方不明となっている。 兵庫県高砂市の生石神社では境内の石の宝殿を、天逆鉾、鹽竈神社の塩竈とともに「日本三奇」と称している。
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