騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:24 UTC 版)
「高岡御車山祭」の記事における「騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響」の解説
判決「高岡と類似した曳山車(大八車〔外車〕様式の輻車)は曳き出してはならぬ。しかし地車であれば許可する。」 放生津(新湊) - 全町の曳山方の役付、世話人が魚津の盗賊改方への出頭・入牢を命じられ詮議を受けた後釈放された。また全町の曳山が没収されその後返還されたが、中町、立町、三日曽根、法土寺、奈呉町、東町、新町の7町の輻車(板車)は没収された。また暫らくの間曳山祭りは中止に追い込まれた。 城端 - 城端では漆の塗師、大工、町の組合頭など関係者7名が魚津の盗賊改方への出頭・入牢を命じられ詮議を受けた。この際、出丸町の坂上に延命地蔵を建立し7名の無事釈放を祈願した。7名はその後無事釈放されている。なおこの地蔵尊は今も同じ地に建っている。また輻車も没収されたが一部は返還され、現在城端曳山会館に保存展示されている。その後の曳山祭りの実施については、曳山創設から歴史が長い(1719年創設)との理由で許可された。 今石動(石動) - 曳山創設から歴史が短い(1752年創設)との理由で、暫くの間曳山祭りは中止に追い込まれた。
※この「騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響」の解説は、「高岡御車山祭」の解説の一部です。
「騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響」を含む「高岡御車山祭」の記事については、「高岡御車山祭」の概要を参照ください。
- 騒動に対する判決と騒動に巻き込まれた町への影響のページへのリンク