香の前にまつわる伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 20:08 UTC 版)
ただし、香の前が政宗との間に産んだ子を連れて綱元の側室となるまでの一連の流れについては、今日に至るまで様々な説話が伝承されている。最も広く伝わる説話は、はじめ文禄3年(1594年)に秀吉が綱元に香の前を与えたが、政宗がこれを綱元から奪ったというものである。当時、綱元は名護屋城留守居役として秀吉との折衝役を務めていたが、秀吉に気に入られて厚遇されており、香の前を与えられたのもその一環であったという。その経緯について『松山町史』では、秀吉が伏見に綱元のための屋敷を下賜しようとしたが、綱元がこれを固辞したため、代わりに香の前を与えたという話を載せ(『伊達世臣家譜』)、『高清水町史』では、綱元が秀吉との碁に勝った褒美として香の前を賜ったという話を載せている。また秀吉の碁の相手は伊達政宗で、政宗が碁に勝った褒美として香の前を秀吉から賜わり、その間に儲けた子供を、茂庭綱元の子ということにして、亘理家の養子となしたとする説もある。 綱元と秀吉の親密な関係は政宗の疑念を招き、翌文禄4年(1595年)に綱元は政宗から強制的に隠居を命じられ、これに憤った綱元は伊達家から出奔している。結局、綱元は慶長2年(1597年)に赦免されて伊達家に復帰するが、『高清水町史』では、この時に綱元が香の前を政宗に献上して自らの屋敷の別棟に住まわせ、そこに政宗が通って津多と又四郎が産まれたという話を載せている。
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