風土記
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『山城国風土記』逸文では、菟道稚郎子が住んだ宮は「桐原日桁宮(きりはらのひげたのみや)」と記載される。また「宇治」の地名の由来はこの宮が営まれたためとし、それ以前の当地は「許乃国(このくに)」と言ったとする。 『播磨国風土記』には「宇治天皇の世」という記載があり、事績は見えないがこの「宇治天皇」は菟道稚郎子を指すと見られている。
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風土記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 10:58 UTC 版)
『筑後国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)によると、上妻県(かみつやめのあがた:現在の福岡県八女郡東北部)の役所の南2里(約1キロメートル)に筑紫君磐井の墓があるとする。その墓について詳述した後で古老の伝えとして、雄大迹天皇(継体天皇)の御世に磐井は強い勢力を有して生前に墓を作ったが、俄に官軍が進発し攻めようとしたため、勝ち目のないことを悟って豊前国上膳県(上毛郡:現在の福岡県築上郡南部)へ逃げて身を隠した。そしてこれに怒った官軍は石人・石馬を壊したという。
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