雪から桜へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 17:49 UTC 版)
平安期に修験道が発達するにつれ、開祖である役小角の奉じた蔵王権現の神木として桜が尊重されたことから、吉野山の桜が徐々に名を上げ(積極的に植樹を行い、爆発的に数が増えたという説もある)、新古今和歌集の時代になると、桜と雪はすっかり立場が逆転してしまっていた。新古今集の代表的歌人で「吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花をたづねむ」と詠った西行も吉野をたびたび訪れ多くの秀歌を残した。山上には「西行庵の跡」もある。
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