陰謀後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/07 14:46 UTC 版)
ロレンツォ・デ・メディチの死後、1494年から陰謀に無関係であった一族の者はフィレンツェに戻り、パラッツォ・パッツィを含む財産を取り戻すことができるようになった。ロレンツォの義兄グリエルモは有能な政治家、外交官であり、その息子コジモは1508年から1513年までフィレンツェ大司教をつとめた。また、ラッファエレは教皇ユリウス2世下の有名な傭兵隊長であった。 パッツィ家は陰謀以前ほどの富や地位の回復はできなかったが、他のフィレンツェの貴族、特にメディチ家と協調して存続し、多くのサント=ステファノ騎士団員、政治家、聖職者(2名のサルノ司教をはじめとする修道士や修道女)を輩出した。16世紀末の有名な人物に、後に聖人となったカルメル会修道女マリア・マッダレーナがいる。
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