関東流れ者 (1965年の映画)
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関東流れ者 | |
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監督 | 小沢茂弘 |
脚本 | 小沢茂弘 |
出演者 | |
音楽 | 菊池俊輔 |
撮影 | 山岸長樹 |
編集 | 河合勝巳 |
製作会社 | 東映京都撮影所 |
配給 | 東映 |
公開 | 1965年4月18日 |
上映時間 | 92分 |
製作国 | ![]() |
言語 | 日本語 |
次作 | 関東やくざ者 |
『関東流れ者』(かんとうながれもの)は、1965年公開の東映任侠映画[1][2][3]。鶴田浩二主演・小沢茂弘脚本・監督。東映京都撮影所製作、東映配給。「博徒シリーズ」に続き製作された鶴田浩二主演の「関東シリーズ」第1作[3][4]。以降、5作品が製作された[3][5]。
同時上映は高倉健の代表作『網走番外地』であるが、公開時は本作がA面(メイン作)であった[6]。
ヤクザやゴロツキが犇きあう大正時代の関東を舞台に、ふと巡りあった薄幸の女の心情に触れたやくざが、侠客魂を炸裂させて悪と対決する[1][2][3][4]。
キャスト
- 大谷清次郎:鶴田浩二
- 馬頭三五郎:大木実
- お繁:小山明子
- 平山サト:藤純子
- 高島伯太郎:村田英雄
- 草間玄三:飯沼慧
- 小松謙作:加藤浩
- 中山留吉:山本麟一
- 北原次郎:北原三郎
- 前田福松:石井均
- 飯島鶴吉:沢彰謙
- 鍛冶屋の源太:山城新伍
- 福原丑五郎:市川小金吾
- おけらの寅:佐々五郎
- 平山弥三郎:内田朝雄
- 羽黒喜之助:遠藤辰雄
- 塚本良平:楠本健二
- 運平:中田ラケット
- 仁助:中田ダイマル
- 水戸署長:堀正夫
スタッフ
興行成績
前番組だった中村錦之助 (萬屋錦之介)主演・田坂具隆監督の一本立て大作『冷飯とおさんとちゃん』が記録的不入りで一週間と持たずに打ち切られ[7][8][9][10]、急遽、本作と『網走番外地』の二本立てを繰り上げ公開したが、途端に五社のトップに躍り出る大ヒット[7][10]。以降「関東シリーズ」と「網走番外地シリーズ」は四作目まで二本立てで公開され、東映最大ともいえるドル箱シリーズになり[11]、東映任侠路線の確立に貢献し、東映の歴史に於いても大きな分岐点になった[12][13]。
同時上映
『網走番外地』
脚注
- ^ a b 関東流れ者 - 日本映画製作者連盟
- ^ a b 森直人 (2021年). “昭和を代表する大スター、鶴田浩二が「耐える男」の美学を体現。プログラムピクチャー時代を沸かせた東映・任侠映画の人気シリーズ”. スカパー. スカパーJSAT. 2023年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年8月3日閲覧。
- ^ a b c d 『ぴあシネマクラブ 日本映画編 2004-2005』ぴあ、2004年、202頁。ISBN 978-4835606170。
- ^ a b 滅びの美学 任侠映画の世界 – シネマヴェーラ渋谷(Internet Archive)
- ^ 東映ポスター集製作委員会「東映任侠路線興亡史5」『ポスターでつづる東映映画史』青心社、1980年、189頁。 ISBN 4-948735-08-6。
- ^ 岡田茂『悔いなきわが映画人生 東映と、共に歩んだ50年』財界研究所、2001年、406頁。 ISBN 4879320161。
- ^ a b 井沢淳、高橋英一、日高真也、白井隆三、三堤有樹、小倉友昭「TOPIC JOURNAL 東映・文芸路線廃止のあと」『キネマ旬報』1965年5月下旬号、キネマ旬報社、21頁。
- ^ 大黒東洋士「再出発する中村錦之助君へ ー人生の壁を乗り越えて時代劇の大スターに―」『キネマ旬報』1965年9月上旬号、キネマ旬報社、31頁。
- ^ 「ティールーム スクリーン どちらが『花と竜』? 錦之助と裕次郎が激突」『週刊サンケイ』1965年10月11日号、産業経済新聞社、105頁。
- ^ a b 「タウン とんだ"冷飯"をくった東映」『週刊新潮』1965年4月26日号、新潮社、17頁。
- ^ 「ニュースコーナー 鶴田・高倉のシリーズもので独走を企てる東映」『映画時報』1965年11月号、映画時報社、24頁。
- ^ 菅孝行「現代俳優論〈20〉中村錦之助 ―東映城外、斜陽に立つ―」『朝日ジャーナル』1971年1月29日号、朝日新聞社、24-26頁。
- ^ 由原木七郎「由原木七郎の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決」『週刊明星』1979年5月13日号、集英社、168-167頁。
外部リンク
- 関東流れ者_(1965年の映画)のページへのリンク