長門国の福地氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/09 20:53 UTC 版)
長府藩士福知苟庵は福知家の末子に生まれ、長崎の医師福地嘉昌の継嗣となるという。その子が福地源一郎である。源一郎は別名、桜痴といい、幕臣として名をなし、海外に外遊してまわり、大蔵省に入省、岩倉使節団一等書記官となり、政府系の東京日日新聞(後の毎日新聞)発行所たる日報社の社長、東京府会議長を経て立憲帝政党の結成し解党の憂き目に遭うものの、後に衆議院議員として政治に参画した。源一郎の子は福地信世といい、東京帝国大学理学部講師の他、舞踏作家として事績を残した。
※この「長門国の福地氏」の解説は、「福地氏」の解説の一部です。
「長門国の福地氏」を含む「福地氏」の記事については、「福地氏」の概要を参照ください。
- 長門国の福地氏のページへのリンク