長門国の額田部氏
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穴門国造の一族で、速都鳥命の三世孫・麻眞乃直が応神朝に額田部直姓を与えられたことに始まるとされ、筑波国造族の額田部連と同族。『続日本紀』巻第十三によると、740年(天平12年)の藤原広嗣の乱の際に、9月21日に無姓の長門国豊浦郡少領・外正八位上の額田部広麻呂が精兵40人を率いて、海を渡って九州に上陸していると記載されている。『続紀』巻第十四によると、この乱の平定後に直姓を与えられたらしく、外正八位上から外従五位下に昇叙されたという。彼は、738年(天平10年)に「耽羅嶋人部領使」として、平城京へ向かっており、途中、周防国を通過している。 『続紀』巻第二十八によると、767年(天平神護3年)4月に、長門国豊浦団の毅(軍団長)の外正七位上の額田部直塞守(ぬかたべ の あたい そこもり/せきもり)が、銭100万文と稲1万束を献上したので、外従五位下を与え、豊浦郡の大領にした、ともある。
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