長門壇ノ浦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 09:50 UTC 版)
壇ノ浦 関門海峡でも最も狭隘な海域である早鞆瀬戸に面している。そのため、現在では本州と九州を結ぶ陸上交通機関の多くが壇ノ浦と対岸の和布刈(福岡県北九州市門司区和布刈地区)の間を連絡している。 元来の地名としてはあくまで海岸地形の名称である。現在行政市町村名としては、大字壇之浦町)がその名を引き継いでおり、関門橋直下周辺を区域としている。しかし広義には、壇之浦町・みもすそ川町・本町の大字3区域を指す[要出典]。 治承・寿永の乱(源平合戦)の最後の合戦となった壇ノ浦の戦いの戦場として有名である。また、馬関戦争の主戦場の一つとしても知られている。
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