長谷地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 16:09 UTC 版)
かつての山城国愛宕郡長谷村および近代の岩倉村(大字)長谷に相当。本地区の東北部に位置する。 岩倉長谷町( - ながたにちょう) 町名の「長谷」はかつての大字名に由来し、平安時代以来の古い地名であって歌枕とされている。平安時代には普門寺や解脱寺などの寺院が建立され、古くから貴人の隠棲地として知られていた。普門寺の跡地に創建されたと伝えられる聖護院は、平安時代末期に京へ移転したのち、室町時代に応仁の乱の戦火を逃れて再び長谷へと移されたと伝承される。また、政務を嫌った前将軍・足利義政が参籠した解脱寺の宿坊として長谷聖護院山荘が造営され、東山山荘(のちの慈照寺)造営以前にしばしばこの山荘に赴き居所としていたことが知られている。
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