長崎市長選挙出馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 14:06 UTC 版)
詳細は「長崎市長射殺事件」および「2007年長崎市長選挙」を参照 岳父である伊藤一長・長崎市長(当時)が4選を目指す市長選期間中の4月17日19時52分頃、遊説先から長崎市大黒町の選挙事務所に戻ったところを山口組水心会の会長代行の59歳の男に背後から銃撃され、翌4月18日2時28分、搬送先の長崎大学医学部・歯学部附属病院で死亡した。 同18日午後に長崎市役所で記者会見し、伊藤市長の後継として無所属で立候補(補充立候補)する意向を発表。選挙に出馬し、伊藤の弔いと市政の継承を市民へと訴え弔い選挙の様相を見せ選挙活動し伊藤一長後援会や連合長崎の支持を得たが、選挙対応の遅れや世襲批判、さらには出馬会見の際の悪い印象が響き同じく補充立候補の田上富久(当時の前市統計課長)に僅差で破れ落選した。 その後、事件が事前に防げた可能性が出てきたとの問題で同年9月自宅で県警に対し公開質問状を手渡したが、県警は30日の返答で事件は予見できなかったとの見解を崩さなかった。
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