長崎オランダ海軍伝習とは? わかりやすく解説

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長崎オランダ海軍伝習

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 17:57 UTC 版)

矢田堀鴻」の記事における「長崎オランダ海軍伝習」の解説

安政2年1855年)、長崎海軍伝習所開かれる運びとなって矢田堀は、勝海舟、永持亨次郎とともに筆頭格伝習生選ばれる。ここでも矢田堀は、航海術習得において抜群の才を示した2年ほどたって、幕府は、幕臣伝習生教師として築地軍艦教授所設けることを決めた矢田堀は、その教授頭に選ばれたのだが、伝習所長だった永井尚志江戸へ帰ることとなり、矢田堀を船将として観光丸での航海試みられた。伝習生たちは、見事に成果見せて江戸へ帰着した。 その翌年観光丸佐賀藩貸し出されることとなったため、再び矢田堀が船将となり、第1期伝習生の手長崎回航された。そのとき長崎には、第2次オランダ人教師団のカッテンディーケがいたのだが、矢田堀の指揮ぶりを次のように賞賛している。 観光丸艦長格の矢田指揮の下に、第1期伝習生徒に操縦せられて、突如長崎入港し外国人一同びっくりさせた。その入港ぶりたるや、よほど老練な船乗りなければできない芸当である。船と船との間に碇を卸したりする大胆不敵な振舞いやってのけた彼等は実に測り知れない自負心持っている。 — 水田信利訳『長崎海軍伝習所日々』より 矢田堀たちは、2ヶ月後咸臨丸江戸へ帰った

※この「長崎オランダ海軍伝習」の解説は、「矢田堀鴻」の解説の一部です。
「長崎オランダ海軍伝習」を含む「矢田堀鴻」の記事については、「矢田堀鴻」の概要を参照ください。

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