長学寺 (富岡市)
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長學寺 | |
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所在地 | 群馬県富岡市上高尾700 |
位置 | 北緯36度17分16.1秒 東経138度54分02.8秒 / 北緯36.287806度 東経138.900778度座標: 北緯36度17分16.1秒 東経138度54分02.8秒 / 北緯36.287806度 東経138.900778度 |
山号 | 祝融山 |
院号 | 神泉院 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来 |
創建年 | 奈良時代 |
開山 | 道鏡 |
中興年 | 承和2年(835年)【第1次】、永禄年間(1558年 - 1570年)【第2次】 |
中興 | 真済【第1次】、儀山沅考【第2次】 |
文化財 | 梵鐘(群馬県指定重要文化財)、七日市藩主前田家の墓所・前田家関係位牌・過去帳・藩主木像(富岡市指定史跡)、長学寺の大イチョウ(富岡市指定天然記念物) |
公式サイト | 群馬県富岡市 長學寺-Chogakuji- 曹洞宗 |
歴史
奈良時代、道鏡によって開山された。道鏡が戒壇院設立のため、関東地方各地を巡錫した際に、薬師如来を安置する薬師堂を創建したのが起源である[1][2]。
835年(承和2年)、京の神護寺の真済が勅命により関東諸国に一切経を納めた際、上野国では一宮の貫前神社の推薦で当地が選定され、「祝融山高尾寺」として整備された[1][2]。
1193年(建久4年)、曾我祐成の妾の虎御前が信濃国(現・長野県)の善光寺に詣でる途上、当寺に立ち寄って曾我兄弟の菩提を弔い、寺号を「長學寺」に改称したという[1][2]。
1369年(応安2年)、曹洞宗の通海良義により、曹洞宗の寺院となった。永禄年間(1558年 - 1570年)に宝積寺の儀山沅考が中興した[1][2]。
江戸時代は七日市藩前田家の菩提寺となった。墓地には歴代藩主の墓がある[1][2]。
文化財
- 梵鐘(群馬県指定重要文化財 昭和33年3月22日指定)[3]
- 七日市藩主前田家の墓所、前田家関係位牌、過去帳、藩主木像(富岡市指定史跡 平成14年4月12日指定)[4]
- 長学寺の大イチョウ(富岡市指定天然記念物 平成10年6月11日指定)[4]
交通アクセス
- 富岡ICより車13分。
脚注
参考文献
- 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年
外部リンク
- 長学寺_(富岡市)のページへのリンク