長孫操
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長孫 操(ちょうそん そう、生没年不詳)は、唐代の官僚。字は元節[1]。本貫は河南郡洛陽県[2]。
経歴
北周の薛国公長孫覧の子として生まれた。武徳年間、陝東道大行台金部郎中となり、陝州刺史として出向した。陝州の東から水を引いて城に入れると、民衆は長くこれを利用した。貞観年間、長孫操は洺州刺史・益州都督府長史・揚州都督府長史を歴任し、いずれも善政で知られた。貞観23年(649年)、子の長孫詮が太宗の娘の新城公主を妻に迎えると、長孫操は岐州刺史に任じられた。永徽初年、金紫光禄大夫の位を加えられ、楽寿県男の爵位を受けた。ほどなく死去した。吏部尚書・并州都督の位を追贈された。諡は安といった[3][4]。
脚注
伝記資料
参考文献
- 『旧唐書』中華書局、1975年。ISBN 7-101-00319-2。
- 『新唐書』中華書局、1975年。 ISBN 7-101-00320-6。
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