鎮守神社と日立風流物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 11:10 UTC 版)
ユネスコの無形遺産委員会によって無形文化遺産リストに記載された『日立風流物』は、日立市における旧村郡の合併に関する歴史を紐解く際に重要な鍵となる。 1695年(元禄8年)、徳川光圀の命によって、神峰神社の大祭礼に山車が出されたことが日立風流物のはじまりである。その際に、神峰神社が宮田・助川・会瀬の鎮守になった。神峰神社が建立されている場所は宮田村であり、日立風流物が「宮田風流物」と呼ばれていた時代も長く、7年に一度だけ4台の山車が神峰神社に向かって集う際には、宮田町を4つに区切る形で存在する町会(北町・東町・西町・本町)が山車を取り仕切る。明治22年当時における神社の存在は大きく、さらに宮田・助川・会瀬の3地域が鎮守になったことも相成って、宮田村の住人から名称について不満の声が挙がったということが歴史編纂員のインタビューで判明している。 光圀の命によって鎮守になった3つの地域にはそれぞれ神社が存在しており、神峰神社(宮田村)、助川鹿嶋神社(助川村)、会瀬鹿島神社(大瀬村)がある。滑川村にも鎮守六所明神を祀った神社が存在するものの、光国によって鎮守の命を受けなかった。現在も日立市滑川本町に存在しており、1873年(明治6年)からは「塩釜神社」を名乗るようになった。同神社は常駐する神主が居ないが、現在でも旧滑川村の住民が交代で、晦日・大晦日・正月三が日や節目で社殿を開いている。 このような経緯もあり、宮田村と滑川村の合併によって「宮田」の文字が消えることを嫌がったと推測されるが、インタビュー以外で明確に記録されている文献は今のところ発見されていない。
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