錦渓温泉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 05:51 UTC 版)
錦渓温泉(三日市温泉)として知られる旅館は、三日市村大字三日市の油屋で高野山御用宿として近世以来に栄えた旅館であり、江戸時代の開業が伝えられる。起源は明らかではないが、伝承に文永・弘安(1264〜1278年)のころ、旅の僧が小塩の里に来たときに老僧が泉水を指さして立ち去り、試しに足を浸すと疲れが癒されたことから、村人が湯治所を開設し「小塩の野風呂」と呼んだとされている。 近代では1890年(明治23年)夏に大字小塩の烏帽子形城址の山麓から噴出する鉱泉を発見し、錦渓温泉油屋へ衣替えが行われた。当時は長野駅(現在の河内長野駅)が開業していないにもかかわらず、開業日と翌日だけで500人以上が訪れたと報じられている。当時は油屋で使用される水車が庭園内にあり、三日市宿の名物となっていた。 1900年9月に高野鉄道(現在の南海電気鉄道)が汐見橋-長野間を開通させると、翌1901年春に増築に着手するまでにぎわった。また、この温泉による影響で、寂々寥々たる一寒村だった三日市村は戸数300と、郡役所所在地の富田林町(現在の富田林市)を凌駕するくらいになったと記されている。 しかし周辺の市街化も相まって、1975年(昭和50年)に錦渓温泉は廃業し、現在は温泉旅館等は残っていない。
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