金田との投げ合いとは? わかりやすく解説

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金田との投げ合い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 22:20 UTC 版)

杉下茂」の記事における「金田との投げ合い」の解説

杉下と金正一国鉄スワローズ)の投げ合い1950年代プロ野球代表する名勝負として現在でも語り草となっている。 1954年の中日ドラゴンズ読売ジャイアンツ優勝争っていたが、国鉄との試合敗れれば優勝逃す成績となっていた。監督天知俊一杉下対し国鉄エース金田登板する試合は必ず登板するよう指示しており、杉下そのように調整行っていた。結局杉下金田投げ合って全勝収め金田対中ドラゴンズ戦で1勝7敗と大きく負け越す結果となった杉下は「3年目石川21勝を挙げて、(自身との)2本出来たことが大きかった。僕が投げるのは主に巨人戦と金田が先発する国鉄戦。金田からは点が取りにくいから相手打線抑えるしかないそれ以外石川担当だ」と述べている。 1955年5月10日試合川崎球場)でも金田投げ合い1-0僅差スコアノーヒットノーラン達成した。この試合杉下許した走者四球のみの準完全試合だったが、その四球は奇しくも金田与えたのだった試合後、球審務めた円城寺満から杉下へ「すまんかったのぉ。あの(四球となった金田への)高めの球はストライクと言ってもよかった」と声をかけられたが、杉下後年、「ストライクゾーンが広い現代なら文句無しストライク高低は球1個分以上、左右半分は違う」と述べている。また、1957年8月21日試合中日球場)では0-1敗戦投手となったが、その試合金田完全試合達成している。

※この「金田との投げ合い」の解説は、「杉下茂」の解説の一部です。
「金田との投げ合い」を含む「杉下茂」の記事については、「杉下茂」の概要を参照ください。

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