金井清 (諏訪市長)
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金井 清(かない きよし、1884年〈明治17年〉12月7日[1][2] - 1966年〈昭和41年〉4月26日[2])は、日本の官僚、政治家。太平洋戦争前は鉄道官僚を歴任し、戦後に長野県諏訪市長を通算2期務めた。
注釈
- ^ 金井は1938年に中支那振興株式会社の理事に就任して立川飛行場から軍用機で上海に向かう途中、「奈良県の上空でふと下を見下すと杉林の密林である。その時33年前此の杉林の中の鷲家口の宿に、M.P.アンダーソンと共に二週間ばかり滞在して多くの動物を採集した事を思い出した」(金井清 1939)という(上野益三 1969)。
- ^ 金井と同じ鉄道省参事官であった十河信二(戦後、第4代日本国有鉄道総裁)も同時に帝都復興院書記官(三等) ・総裁官房に任じられている(大阪朝日新聞 1923)。「従って、復興局の要職中、整地部・建築部以外は殆んど鉄道省出身に占められて仕舞った。中にも大田(太田?)、十河、金井」のコンビ勢力が最も強大、という状態であった(松浦茂樹 2012)。1924年8月の復興局疑獄事件で十河信二が逮捕され、再審で無罪となるも1926年に退職し、南満州鉄道理事、興中公司社長を歴任した(満州日報 1935)。疑獄事件ではほかに太田圓三が自殺する事態となった。
出典
- 1 金井清 (諏訪市長)とは
- 2 金井清 (諏訪市長)の概要
- 3 親族
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