里山辺村とは? わかりやすく解説

里山辺村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/19 02:03 UTC 版)

さとやまべむら
里山辺村
里山辺村役場
(旧山辺学校、現・山辺学校歴史民俗資料館)
廃止日 1954年8月1日
廃止理由 編入合併
里山辺村新村今井村和田村神林村笹賀村芳川村寿村岡田村入山辺村松本市
現在の自治体 松本市
廃止時点のデータ
日本
地方 中部地方甲信越地方信越地方
都道府県 長野県
東筑摩郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 11.72km2
総人口 5,184
(1950年国勢調査)
隣接自治体 松本市入山辺村本郷村
里山辺村役場
所在地 長野県東筑摩郡里山辺村2932番地
座標 北緯36度14分07秒 東経138度00分12秒 / 北緯36.23536度 東経138.00344度 / 36.23536; 138.00344座標: 北緯36度14分07秒 東経138度00分12秒 / 北緯36.23536度 東経138.00344度 / 36.23536; 138.00344
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里山辺村(さとやまべむら)は長野県中西部に存在した村(1875年1月23日 - )である。

1954年8月1日昭和の大合併松本市に編入された。

概要

高台では松本市街地から波田、山形まで眺めることができる[1]。1864年よりぶどう栽培が盛んとなり1877年に山辺ぶどうのブランドが確立された。ぶどう畑が多いことからワイナリーが開発された。また美ヶ原温泉が近いことでも知られ、里山辺村で屋を営んでいた金宇儀道司が屋根から落ちて療養したことをきっかけに温泉掘削と旅館開業に至った[2]

歴史

  • 1864年(元治元年)南小松村 倉田半次郎氏らにより甲州種ぶどう栽培が始まる。現在の山辺ぶどう
  • 1875年明治8年)1月28日 - 筑摩県筑摩郡林村・大嵩崎新田村・南小松村・北小松村・薄町村・上金井村・兎川寺村・湯原村・荒町村・藤井村・新井村・下金井村が合併して里山辺村となる。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 長野県の所属となる。
  • 1879年(明治12年)1月4日 - 郡区町村編制法の施行により、東筑摩郡の所属となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、里山辺村が単独で自治体を形成。
  • 1954年昭和29年)8月1日 - 松本市に編入。同日里山辺村廃止。
  • 1956年(昭和30年)[要検証] 山辺ぶどうの取引市場を開拓して産直のトラック輸送に取組みトラックの数が少ない時代にぶどう生産者組合の快挙になった。[要出典]

行政

教育

  • 里山辺村立里山辺小学校
  • 里山辺村立里山辺中学校

観光地

里山辺は美しい田園が広がる地帯でもある
山辺ワイナリー外観

脚注

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関連項目





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