都城方面の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
人吉方面撤退後の6月12日、村田新八は都城に入り、人吉・鹿児島方面から退却してきた薩軍諸隊を集め、都城へ進撃する征討軍に対する防備を固めた。薩軍の配置は戦闘によって大幅に入れ替わりがあるので確定しがたいが、北からほぼ以下のようになっていた。 最右翼(霧島山・高千穂北麓)小林・高原方面 - 破竹隊など 右翼(霧島山・高千穂南麓)財部・庄内方面 - 破竹隊など 中央敷根・福山・清水方面 - 振武隊・奇兵隊など 左翼岩川・末吉・大崎・百引方面 - 雷撃隊・行進隊など 対して、都城に攻め入ろうとする官軍の配置は北からほぼ以下のようになっていた。 左翼小林・飯野 - 別働第4旅団の一部・第2旅団 中央庄内方面 - 第3旅団(国分本営) 庄内・福山の中間 - 別働第4旅団(国分本営) 福山方面 - 第4旅団(敷根本営) 右翼岩川・末吉方面 - 別働第1旅団(高隈本営)
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