小林・高原方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 19:11 UTC 版)
6月19日、河野主一郎は破竹隊を率いて別働第2旅団が守る飯野を21日まで猛撃して奪取をはかったが、征討軍は善戦し、陥とすことはできなかった。逆に横川から転進してきた第2旅団が7月14日、小林から高原を攻撃し高原を占領した。高原奪還を目指す薩軍は17日、堀与八郎を全軍指揮長とし雷撃隊・鵬翼隊・破竹隊などの9個中隊を正面・左右翼・霞権現攻撃軍(鵬翼三番隊)の4つに分け、深夜に植松を発ち、正面・左右翼軍は暁霧に乗じて高原の征討軍を奇襲し、あと一歩のところで奪還するところであったが、征討軍の増援と弾薬の不足により兵を引き揚げた。一方、霞権現へ向かった鵬翼三番隊は奇襲に成功し、銃器・弾薬等の軍需品を得た。この戦い以降、征討軍は警戒を強め、17日に堡塁や竹柵を築いて薩軍の奇襲に備えた。21日薩軍は再び高原を攻撃するため征討軍を攻撃するが、強固な守備と敵の援軍の投入により、高原奪還は果たせず、庄内へと退却した。
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