都営共管の縮小と閉鎖
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:39 UTC 版)
「東急バス駒沢営業所」の記事における「都営共管の縮小と閉鎖」の解説
1980年代に入ると、東京都交通局の再建計画もあり都営共管はさらに縮小することになった。1984年(昭和59年)2月16日の大規模な路線再編成で、長年駒沢の担当だった等々力線と環七線が分割されることになり、東急・都営それぞれの単独路線に切り替えられた。両路線はこの時に、玉電代替の廃止で営業所の規模に余裕が生まれていた大橋営業所へ移管されることになった。 詳細は「東急バス大橋営業所#駒沢所管路線の引き受け」を参照 これにより駒沢にはコーチ自由が丘線と祖師谷線が残ったが、弦巻営業所も小田急バスと共管の調布線・狛江線から撤退していて余裕があった。このため、両路線も弦巻に移管されることになった。1か月後の3月15日をもって駒沢営業所は営業を終了、。翌3月16日に閉鎖された。駒沢営業所は戦後に新設された東急バスの営業所として最も短い、19年半の歴史に終止符を打った。 「東急バス弦巻営業所#弦巻営業所の立ち上げ」も参照
※この「都営共管の縮小と閉鎖」の解説は、「東急バス駒沢営業所」の解説の一部です。
「都営共管の縮小と閉鎖」を含む「東急バス駒沢営業所」の記事については、「東急バス駒沢営業所」の概要を参照ください。
- 都営共管の縮小と閉鎖のページへのリンク