都営三田線の延伸計画
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「港北ニュータウン」の記事における「都営三田線の延伸計画」の解説
1971年の計画当初は都営地下鉄6号線を、西馬込から港北ニュータウンを経由して中山駅まで延伸する計画があった(都市交通審議会答申第15号)。当時の計画では横浜市営4号線とともに、東京6号線が鉄道計画の根幹をなしており、前掲書ではかなり具体的な駅名とともに、東京6号線の延伸が必須であるという書き方がなされている。 財団法人日本都市計画学会が1971年に発行した『KOH NEW TOWN COMMUNICATION STUDIES 1971〜1972』225ページ「2-6-2 計画鉄道の広域ルート」には「港北ニュータウンに関連する新設鉄道計画の通過地点及び建設予定年次は下記のとおりである。」として、「3)東京からの鉄道新線」が掲げられている。同書25ページの内容では、 ルート:大宮西部 - 高島平 - 日比谷 - 三田 - 港北ニュータウン - 神奈川西部 建設時期:昭和60年 答申:昭和47年3月1日都営地下鉄6号線(高島平-巣鴨間開通)の延伸として,大宮西部から港北ニュータウンまで答申された。 と記載されている。さらに同書25ページ「2-6-3 計画鉄道のニュータウン内ルート」において、停車駅が以下のように明記されている。 3号線:A.B.C.D. 4号線:E.B.C. 6号線:E.C.F なお、アルファベットと現在設置されている駅の対照は以下のとおり。 A:中川 B:センター北 C:センター南 D:仲町台 E:北山田 F:都筑ふれあいの丘 加えて、前掲書213ページでは東京6号線のルートを、目黒 - 都立大学 - 等々力 - 武蔵新城 - E - B - C - F - 中山と断定的に記している。 しかし1985年(昭和60年)7月の運輸政策審議会答申第7号で、東京6号線に関するこの計画は目黒止まりとなることが確定し、それとともに都営三田線の港北ニュータウン延伸計画は廃止となった。同審議会答申では、都営三田線の代わりにセンター北止まりとなるはずだった横浜4号線を中山まで延伸することを答申し、鉄道計画が確定した。
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