遺構・復元物
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 15:20 UTC 版)
建造物は廃城の際解体されたが、遺構の保存状態は良く曲輪、高石垣、井戸等が良く残る。 岩村町の八幡神社(加藤景廉が祭神として祀られている)の本殿は、岩村城の八幡曲輪から移築されたものである。(現在の岩村城の存在を示す最も古い遺物は永正年間の遠山頼景による八幡神社棟札である。) 不明門(伝)が城下の妙法寺の山門として移築され現存する。 岩村城の廊下の部材が、城下の地酒“女城主”蔵元の岩村醸造の廊下にも利用されて残っている(見学可能)。 岩村城のどの場所の建造物かは不明であるが、勝川家の土蔵の一部も岩村城の遺構である。 岩村町の徳祥寺には岩村城の城門であった土岐門が明治6年(1873年)に移築され、山門として所在する。 上矢作町の円頂寺の畳八畳分の天井絵は岩村城より移築された「八方睨みの龍」が使用されている。どこからみても龍が睨んでいるように見えることから、このように呼ばれる。 藩校の知新館の正門と釈奠の間(岐阜県指定文化財)が現存し、城の麓の藩主邸跡に移築されている。
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