選手名の表記および愛称
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 16:01 UTC 版)
「田中幸雄 (内野手)」の記事における「選手名の表記および愛称」の解説
入団1年目から4年目にかけて同姓同名の投手・田中幸雄が日本ハムに在籍していたため、球場のスコアボードや新聞紙上では投手の田中幸雄を田中幸、内野手の田中幸雄を田中雄と表記した。場内アナウンスでは背番号によって区別していた。 入団初年度である1986年の週刊ベースボールの選手名鑑では、「同姓同名の先輩に追いつけるよう努力します」とコメントしている。 1989年オフに投手の田中幸雄が中日ドラゴンズに移籍したことで1990年からは「田中」表記となったが、1992年には、大内実が田中姓に変更したのに伴い「田中幸」と表記されることとなった。その田中実が退団した1994年以降は再び「田中」になり、2000年に田中賢介が入団したことで引退までは「田中幸」表記になった。 なお、現役時代同時に日本ハムに所属したことのある田中姓の選手は、投手の田中幸雄のほかに田中富生、田中学、田中実、田中賢介、田中聡の5名。 身長は184cmで決して小柄ではないが、投手の田中幸雄が190cmあり年上だったため、チームメイトらは投手の田中幸雄を「オオユキ」と呼び、内野手の田中幸雄を「コユキ」と呼ぶようになった。年上の人間から呼ばれるのは気にならなかったが、年下のファンからもコユキと呼ばれることには抵抗を感じたという。20代半ば頃からはファンから「ユキオさん」と呼ばれるようになっていった。ファイターズと田中のファンでもある声優の富沢美智恵からも対談の中で富沢から「ユキオさん」と呼ばれている。
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