近世の永吉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 13:54 UTC 版)
江戸時代には鹿児島郡鹿児島近在のうちであり、永吉村は鹿児島近在のうちの「近名」であった。村高は「天保郷帳」では173石余、「三州御治世要覧」によれば369石余、原良村編入後の「旧高旧領取調帳」では930石余であった。安政年間には島津斉彬によって水車館(水力機織場)が設置され、機織が行われていた。この水車館で行われていた紡績業は島津忠義の時代になって近代化され、磯に近代工場が造られた。村内には薩摩街道、郡山街道が通っていた。 1871年(明治4年)に隣接する原良村(現在の原良の前身)を編入した。
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