近世の小山田
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 14:58 UTC 版)
「小山田町 (鹿児島市)」の記事における「近世の小山田」の解説
江戸時代には薩摩国日置郡鹿児島近在のうちであった。村高は「天保郷帳」では2,097石余、「郡村高辻帳」では2,097石余、「三州御治世要覧」では1946石余、「旧高旧領取調帳」では1,836石余であった。鹿児島近在のうちでは遠名とされていた。遅くとも1871年以前に日置郡から鹿児島郡に移管されており、明治時代初期の「旧高旧領取調帳」では鹿児島郡のうちとされている。 薩摩藩の地誌である「三国名勝図会」では小山田村にある小山田瀑布について以下のように記述している。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}小山田瀑布 小山田村、平城の北にあり、其源は郡山邑の山中に出て、南より北に落る瀑布なり、高さ凡そ五丈五尺、横狭く、水勢壮なり、土俗是を陽瀑といふ、或は布引の瀑と名く、左右古藤多し、下流は神月川に入る、又平城の南に陰瀑とて、僅に高さ二丈許りなる飛泉あり、水少し、 —三国名勝図会巻之二
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