農談会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/16 00:42 UTC 版)
暉皃は佐藤清臣の「農事を起すは農談会を聞くに如くはかし」といった勧めで、大野瀬村の老農小木曽一家らと謀り、明治11年四月、組合村十二ヵ村の老農数十人を自宅に招き、農事を談じた。その場で「繭、生糸、茶、煙草、椎茸」等の物産開発や改良に役立つ知識、経験を交換し、その成果は意外に大きかった。老農的立場の暉皃の主導で始まった農談会は、北設楽郡長となった義真が行政的な立場から取り上げ、郡内の戸長を集め、郡農談会を発足し、のちに三河農会、ついで大日本農会へ発展してきた。
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