農林省の対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 07:04 UTC 版)
農林省でも各方面からの問い合わせが多くなり、昭和6年春、農林省副業課から各府県に対して一般に「アンゴラ達示」と呼ばれる通達が出された。内容は、アンゴラウサギの飼育方法、アンゴラ兎毛の加工・製品化について日本ではまだ研究段階であるとしたうえで、「アンゴラ兎の将来に関しては見込み確定せざるが、目下種兎高価なるを以て毛の収益のみにては到底収支償わず。産仔を種兎として販売すれば現在相当の利を得べきも之等は永続するものに非るのみならず、一般農家が行うは困難にあり。故に此の際かかる事業に零細なる資を投ずるは農家として危険なるを以て、アンゴラの飼育は時期尚早と認め、本省に於ては奨め得ず。」と結ばれていた。 以降、アンゴラ達示に呼応するように新聞各社もアンゴラウサギに関する否定的な記事を掲載するようになった。 「インチキ副業にご用心肝要」東京朝日新聞(4月23日) 「農家の副業にアンゴラ兎は駄目」新潟毎日新聞(5月20日) 「副業座談会」大阪朝日新聞(5月23日) 「副業に関する誇大広告に迷ふな」高知新聞(6月26日) 「アンゴラ兎は副業にならぬ」新愛知(7月29日) 官尊民卑の風潮が強い日本においてアンゴラ達示の影響は大きく、アンゴラウサギの価格は瞬く間に下落した。7月下旬に100円だったものが、8月5日に50円、8月10日に30円、8月下旬にはどれだけ値下げしても買い手がないという状況になった。アンゴラウサギの販売を目的とした株式会社や合資会社は次々と倒産し、個人経営の種兎場は破産するか、夜逃げするほかなくなった。 こうして昭和6年秋ごろ、アンゴラウサギの投機的な流行は終息した。
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