軍需工廠化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:02 UTC 版)
「中島飛行機半田製作所」の記事における「軍需工廠化」の解説
1945年3月、中島飛行機は軍需工廠となる準備のため、大騒ぎとなった。一般従業員にとって全く唐突なことであり、服務規程の制定・組織編成の策定・人事資格の決定などの仕事に振り回されることになり、従業員の作業意欲を阻害する面が大であったという。4月1日に第一軍需工廠の官制が施かれ、半田製作所は第一軍需工廠第三製造廠となった。そして第三製造廠として組織編成が制定公布されたのは6月1日だった。 軍需工廠になったからといって特に仕事がやりやすくなったわけではなかった。ただし半田製作所にいた若い将校ら軍人達からの口出しが少なくなり、自主的な規律が守りやすくなったことは確かだったという。理由は半田製作所の諸職員が官制上、上位の位に就いたためである。所長は廠長となり少将相当官、部長は参事または一等技師主事となり大佐〜中佐相当官、課長は二〜三等技師主事となり大尉〜中尉相当官・・・と、従来威張っていた中・少尉の監督官補佐や監理官が位負けになったからである。憲兵分遣隊長に至っては伍長にすぎないから威張れる余地はなくなったわけである。
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