軍事内局局長に就任
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:34 UTC 版)
「エドヴィン・フォン・マントイフェル」の記事における「軍事内局局長に就任」の解説
1858年10月にヴィルヘルム王子が摂政に就任すると、自由主義保守派政権「新時代(ドイツ語版)」内閣が発足し、カマリラは粛清人事を受けたが、カマリラの中でもマントイフェルだけはヴィルヘルムの庇護で留任した。また軍事内局が創設され、その局長に彼が就任した。軍事内局は人事・軍令に関する国王の直属機関であり、陸軍省から独立した存在だった。 新時代内閣陸軍大臣グスタフ・フォン・ボーニン(ドイツ語版)は「陸軍省と軍事内局の並立には法的根拠が無い」と主張し、陸軍省を無視して軍人事を行うようになったマントイフェルと対立を深めていった。この対立はヴィルヘルムが「軍を指揮するのは大元帥であり、陸軍大臣ではない」と述べてマントイフェルを擁護したことでマントイフェルの勝利に終わり、1859年11月28日にボーニンは陸軍大臣辞職に追い込まれた(後任の陸相はローン)。 1861年1月にヴィルヘルムが国王に即位すると中将に昇進した。即位まもなくヴィルヘルムはマントイフェルの進言で「統帥権行使に関する勅令」を発した。これにより軍勤務事項・軍人事についての国王勅令には陸軍大臣の副署が不要とされ、国王に直属する軍事内局局長の権勢がさらに高まった。
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