足利幕府との決裂・織田との同盟
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「大友義統」の記事における「足利幕府との決裂・織田との同盟」の解説
永禄元年(1558年)、第21代当主・大友義鎮(のちの宗麟)の長男として生まれる。将軍・足利義昭の偏諱を受け、義統と名乗った。 天正4年(1576年)正月から2月18日以前の時期、父の隠居により、家督を継いで第22代当主となる。家督相続はなされたものの、天正5年頃までは宗麟・義統との共同統治が行われていた。 毛利家を支持する将軍義昭により「九州六ヶ国の兇徒」と貶められると、新政権織田信長に近づき信長より毛利領の内で長門・周防を与えるという朱印状を得る。 さらに天正7年(1579年)11月27日、織田信長の推挙によって天皇から従五位下・左兵衛督に叙位・任官された。
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