走りたいという願い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/11 08:35 UTC 版)
「大分国際車いすマラソン」の記事における「走りたいという願い」の解説
1970年代 別府大分毎日マラソンの開催日の朝に「別大国道を歩こう会」が開催されていたが、毎年参加していた車いす使用者から、「本物のマラソンに参加したい」という声が上がるようになった。 1977年 「別府市ロードレース大会」に車いす部門(2.7km)が設定され、女性2名を含む9名が参加。 1978年 「別府市ロードレース大会」車いす部門(3km)に3名参加。しかし、このコースの長さは、マラソンを走りたいと願う車いす使用者にとって満足できるものではなく、2年間で廃止された。 1980年 別府にある社会福祉法人「太陽の家」福祉工場に勤務する社員の間で「別府大分毎日マラソンを健常者と共に走りたい」という声がますます大きくなり、理事長であった中村裕博士が関係機関に参加許可を求めるに至った。 しかしながら当時の日本の陸上競技のルール上、車いすでの参加は認められず、また別府大分毎日マラソンのコースは高崎山に隔てられた大分市と別府市を結ぶ大動脈であり、代替できる迂回路が設定できないことから、同じコースで違う日に車いすマラソン大会を開催することも認められなかった。
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