赤糸威鎧 兜・大袖付
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 09:57 UTC 版)
「武蔵御嶽神社」の記事における「赤糸威鎧 兜・大袖付」の解説
畠山重忠より建久2年(1191年)に奉納されたと伝える。様式上、平安時代後期の作と推定されている。鎧の正面・左脇・背面を一体に作り、右脇は脇楯(わいだて)で塞ぎ、草摺は脇楯を含め4間とした「大鎧」と呼ばれる形式のもので、兜、大袖、鳩尾板(きゅうびのいた)、栴檀板(せんだんのいた)を具備する。栴檀板の冠板を大きく作るのが特色である。大ぶりの小札(こざね)を茜染めの赤糸で威す。兜は鉢が小ぶりで、天辺(てへん)の孔が径5.5cmと大きいのが特色である。錣(しころ)は破損が激しかったため、明治の修理で取り替えられ、原品は別途保存されている。江戸時代には徳川吉宗が上覧のため、江戸に運ばれ、修理もされている。明治36年(1903年)には日本美術院による修理が行われ、威毛の大部分がこの時補われている。明治の修理では化学染料で染めた糸を用いたが、結果的には自然染料よりも褪色が早かった。現状、褪色している威毛は明治修理時のもので、わずかに残る赤みの強い糸がオリジナルである。弦走韋(つるばしりのかわ)などの絵韋も大部分後補で、当初の絵韋は脇楯の蝙蝠付(こうもりづけ)などにわずかに残る。以上のように補修が多いとはいえ、平安時代後期にさかのぼる大鎧の遺品として貴重なものである。
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