赤松滄洲とは? わかりやすく解説

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赤松滄洲

読み方あかまつ そうしゅう

江戸中期儒学者播磨生。名は、字は国通称良平別号静思翁。舟曳通益の子赤穂藩医大川耕斎の養子となる。舟曳・大川両氏共に赤松氏支族である為、著述の上では赤松氏名乗った京都出て医学香川修庵儒学宇野明霞に学ぶ。のち赤穂藩儒として藩士教育にあたり累進して家老となる。柴野栗山片山北海とも親交した。著に『赤穂四十六士論評』『静思亭集』等。享和元年(1801)歿、81才。


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