赤松燎とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 美術家 > 画家 > 日本の画家 > 赤松燎の意味・解説 

赤松燎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 05:59 UTC 版)

赤松 燎(あかまつ りょう、1922年9月9日 - 1996年5月31日)は、昭和・平成期の日本画家

経歴

1922年9月9日、岡山県倉敷市に生まれる。

1947年に京都市立絵画専門学校(現京都市立芸術大学)に入学。卒業後、晨鳥社に入塾し山口華楊に師事する。その後、京都を拠点に作家活動に専念する。土地柄もあってか、舞妓を描いた作品や陶工を描いた作品を残す。

1956年日本美術展覧会に初入選し以後、生涯で日本美術展覧会に25回の入選をしている。1978年4月に自身のもと京都の伝統産業に携わるものが中心となり燎友会を結成。赤松燎本人の死亡後も燎友会は存在している。

1996年5月、圓徳院の襖絵「白龍の図」を制作中に逝去。なお、遺作となる圓徳院襖絵の「白龍の図」は時期によって有料公開されている。


※なお、詳細な軌跡については燎光会が運営するホームページ「赤松燎の世界 路傍の日本画家」にて、当時の写真や作品とともに閲覧することができる。

年譜

白龍の図(圓徳院

代表作





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「赤松燎」の関連用語

1
12% |||||

2
8% |||||

3
8% |||||

赤松燎のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



赤松燎のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの赤松燎 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS