贖宥状批判を突然始めたわけではない
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 00:19 UTC 版)
「95か条の論題」の記事における「贖宥状批判を突然始めたわけではない」の解説
ルターは、アウグスティヌス修道会出身で、ヴィッテンベルク大学に招かれ、そこで神学博士号を取得した人物である。自身の体験に基づく一風変わった授業を行い、ヴィッテンベルク大学の神学講義の改革を行っており、学内では有名な人物だった。しかしこの時点ではドイツ全体としてはまだ無名の存在だった。 ルターは掲示を貼りだす以前から、贖宥状批判を繰り返していた。記録の残るところでは、1516年7月27日の説教で贖宥状の有効性に疑問を呈し、これが招く倫理の退廃を指摘している。これはちょうどテッツェル一行がザクセン領にもっとも近づいた時期である。ザクセン領を出て贖宥状を買い求めてきた庶民たちは、贖宥状売りの様子をルターに話して聞かせた。それはルターを怒らせるものだったという。 ルターが「掲示」を行ったのは、それから1年3か月後のことである。10月31日当日の昼間の説教でも、ルターはこの問題を発言していたという。
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