か‐たん【賈耽】
賈耽
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賈 耽(か たん、開元18年(730年) - 永貞元年10月2日(805年10月27日))は、唐の政治家。字は敦詩。諡は元靖。滄州南皮県の出身。国内外の地図や地理書を編纂したことで知られる。父は賈琰之。子は賈疇・賈疄・賈㽥。『新唐書』巻七十五・表第十五下・宰相世系五下によれば魏の大尉賈詡の直系子孫である。ただし鄭余慶『左僕射賈耽神道碑』では先祖について記さない。
- ^ a b 鄭余慶『左僕射賈耽神道碑』
- ^ a b 『新唐書』賈耽伝
- ^ a b c 『旧唐書』賈耽伝
- ^ a b 榎(1994) p.195
- ^ 『新唐書』賈耽伝は『河西戎之録』とする
- ^ 編纂年は権徳輿の序に「貞元壬午」とあるのによる
- ^ 『新唐書』芸文志二
- ^ 榎(1994) pp.196-198
- ^ 『新唐書』地理志七下「其後、貞元宰相賈耽考方域道里之数最詳。従辺州入四夷、通訳於鴻臚者、莫不畢紀。」
- ^ 榎(1994) pp.198-200
- ^ 権徳輿『魏国公貞元十道録序』(全唐文所収)
- ^ 『賈耽《海内華夷図》和李吉甫《元和郡県図志》資料介紹』吉言网、2018年12月2日 。
- ^ 『大唐名相辛苦13載絵成最早的亜洲地図』蝌蚪五綫譜 - 北京市科協主辦、2018年11月7日 。(ここでは1137年になっているが、阜昌が何年から始まったかについては議論がある)
- ^ 『禹迹図』ワールド・デジタル・ライブラリ 。(ここでは賈耽にもとづくとは書かれていない)
- ^ 『華夷図』国図空間、2017年3月6日 。
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