豊川市御津町の山本氏
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豊川市御津町には宝飯郡御津村の時代に山本勘助屋敷の伝承を持つ古屋敷があったとされる[要出典]。これは、『新訂三河国宝飯郡誌』に記事が収録された頃、同村大字広石字越川にあった山本源助屋敷がそれであるとする。この屋敷には古刀・槍穂先の遺物が伝わり、また同屋敷の西隅に五輪の石塔があった(いずれも由緒不詳)。 なお、市内御津町広石の御津神社には天文15年(1546年)の山本五郎左衛門尉成政、天正8年(1580年)の山本孝雲入道の棟札があるとする。なお、東三河に由緒の深い越後長岡藩の家臣団に藩士山本五郎左衛門家(130石)が藩創設以来幕末まで存続していたが、この成政との関係は不詳。また、山本勘助との関係は勘助の前名が源助だったという『牛窪密談記』の記述以外に重なるものは知られていない。
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