譲位賛成・容認側の意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 07:07 UTC 版)
摂政は天皇の形式化を招きかねず、「象徴」としての役割を果たせない。 天皇は皇居の奥に引き下がり、高齢化に伴う限界は摂政を置いて切り抜けようというのは、天皇が積み上げ、国民が支持する象徴像を否定することにつながりかねない。 摂政制度はあくまで緊急時に起動するシステムである。 摂政は「天皇の政務を奪った」という自責の念を感じてしまう。 摂政を設置すると、国民から見て、「天皇とどちらが象徴か」という危惧が起きる。 宇佐美毅宮内庁長官(当時)は、昭和39年(1964年)の国会答弁で「摂政の場合は、天皇の意思能力がむしろほとんどおありにならないような場合を想定している」と説明している。 「象徴的行為」は、天皇に一身専属するもので、摂政には代行できない。 公的行為の範囲が法的に定義されておらず、委任という考え方になじまない。
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