諏訪盛経とは? わかりやすく解説

諏訪盛経

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 09:36 UTC 版)

諏訪 盛経(すわ もりつね)は、鎌倉時代中期の武士北条氏得宗家被官である御内人文永3年(1266年)以前には出家していたと推定され[6]、法名は真性(しんしょう)[7]


  1. ^ 『吾妻鏡』建長5年(1253年)1月3日条、康元元年(1256年)1月5日条。
  2. ^ 『吾妻鏡』承久3年(1221年)6月11日条。「承久三年六月小十一日甲子。諏訪大祝盛重去八日状。今日到來鎌倉。廻世上無爲懇祈之由献巻數。又子息太郎信重。相具小笠原上洛云々。」
  3. ^ a b c 新訂増補国史大系尊卑分脉 第3篇』(吉川弘文館、編:黒板勝美、国史大系編修会)P.101-102。
  4. ^ [1]「神氏系図 前田古写本之写」
  5. ^ 『尊卑分脈 第3篇』P.101。
  6. ^ 『吾妻鏡』文永3年(1266年)6月19日条に「諏方三郎左衛門入道」とある。
  7. ^ 『尊卑分脈 第3篇』P.102では盛経の弟・盛頼の項に「出家真性」と書かれているが、「香取社姫殿遷宮用途注文」(『香取神社文書』)に「諏方三郎左衛門入道真性」と記されていることから、「三郎左衛門」の通称を持つ盛経の法名と考えられており(『国史大辞典』、細川論文・脚注(38))、『系図纂要』ではこの説を採用している。
  8. ^ 『吾妻鏡』建長3年(1251年)11月27日条。但し、名は「諏方三郎盛綱」と記載されている。
  9. ^ 『吾妻鏡』建長5年(1253年)1月3日
  10. ^ 『吾妻鏡』建長8年(1256年)1月5日
  11. ^ 『吾妻鏡』建長5年(1253年)1月3日


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