詩壇への影響と評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/20 00:47 UTC 版)
『亞』は、『面』と並んで当時の短詩運動の中心的役割を占める詩誌として扱われ、のちの『詩と詩論』につながる前衛詩、モダニズム詩運動の先駆けになったとされる。『亞』で安西らが提示した短詩という様式には多くの追随者が登場し、『詩神』誌上には「現代短詩」の欄が設けられるまでになった。 短詩という形式は、日本の伝統的な定型詩である俳句やルナールの短詩、さらにはMAVOの影響を受けて発展したとされる。北川冬彦は、『亞』最終号において、『亞』で発展したそのような「短詩型詩」という形式が「新散文詩」へ発展していく見通しを示した。一方橋爪健が、最終号で「日本に於ける短詩運動の使命は、充分果たし得た事をお慶び申し上げます」と述べるなど、『亞』の廃刊が短詩運動の終焉と結びつける認識も持たれた。『亞』の廃刊は多くの文人に残念がられたとされるが、尾形亀之助は『亞』風の安直な短詩が量産されることに弊害を感じており、廃刊に対して「双手をあげて賛成した」と回顧している。
※この「詩壇への影響と評価」の解説は、「亞 (雑誌)」の解説の一部です。
「詩壇への影響と評価」を含む「亞 (雑誌)」の記事については、「亞 (雑誌)」の概要を参照ください。
- 詩壇への影響と評価のページへのリンク