角友会の解散
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父の古くからの支持者との軋轢の一つに、2004年から2005年にかけて起こったJR浦佐駅前に立つ銅像を巡って発生した管理団体との対立が挙げられる。この銅像に屋根をつけるべき(地元は豪雪地帯のため、「雪が積もってお父ちゃんが可哀想」と発言したとも)と2004年11月に管理団体「角友会」(会長・須佐昭三、越山会元幹事長)に申し入れるも難色を示されたため、2005年2月に「田中角栄記念館」を通じて六日町簡易裁判所に調停を申し立てた。話し合いの末、像の管理は田中家がすることとなり「角友会」は解散。銅像そのものは、支持者が角栄の地元発展への尽力に感謝し、約2億円をかけて1985年に建立したもの。また、2005年には銅像に屋根が掛けられた。 第45回総選挙では、民主党候補の支援の他、選挙区によっては平沼グループの支援も行っている。
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