親子笑えり一心に切る紙キリスト
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評 言 | 今の自分が幸せだと感じる時、人は笑顔を浮かべるだろう。では、明日の自分を幸せにしたいと願う時、人はいったい何をするだろうか。「笑う門には福来る」という諺は、にこにこすることがそのまま幸福の訪れにつながると教えてくれる。だが、幸せを願う真剣さは、往々にして笑いを生み出す心のゆとりを排除してしまう。いったん逃した幸運を取り戻そうとする時や、不幸の連鎖から抜け出そうとする時、人間が行う一途な努力には、笑いの入る隙間がない。それでも事態が好転せず、笑顔にすがるしかないと、鏡に向かって無理やり笑う。そんな哀しい現実も、実際には存在する。 句の意図するところは、もっと温かいものだろう。親子のささやかな幸福と、それを支える真摯な願い。そこには、生きることへのひたむきな肯定があり、そして神の目がある。そんな意味なのかもしれない。 「人生に蛇の目傘忘れたから戻ろう」、「夜霧が漉し餡だったら男女同権を認める」などユーモラスな作品で知られる作者だが、そのユーモアの背景には、人間の現実に対する静かな視線と、その視線に込める繊細で温かな思いやりがある。もしかしたら作者は、福をもたらす笑いの豊かさを、現実から少しずつでも引き出したいのかもしれない。多くの人々を幸せに導きながら、ついに笑うことがなかったかも知れぬキリストのためにも。 |
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