見習い兵の務め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/13 22:02 UTC 版)
「マフェキング見習い兵団」の記事における「見習い兵の務め」の解説
見習い兵たちの任務のひとつは、町中や、その外側に配された砦にメッセージを伝える伝令であり、時には1マイルも隔てられたところまで遮蔽物のない開けた土地を行き来しなければならないこともあった。最初はロバが使われていたが、包囲戦が長期化すると食料が乏しくなってロバは屠殺されて食べられてしまった。以降、見習い兵たちは、代わりに自転車を使うようになった。 また、重要な任務だったのは歩哨で、特にボーア軍の砲撃が、町のどの部分を狙っているかを住民に警告するのがおもな務めであった。 包囲戦の期間中、町は、「マフェキング・ブルーズ (Mafeking Blues)」と称された独自の切手を発行していた。そのうちの1セットは、自転車に乗った見習い兵のリーダー、ワーナー・グッドイヤーを描いたものであった。マフェキングで発行された切手は、君主の肖像が描かれていないという点で、当時のイギリス帝国の切手としては例外的なものであった。 9歳の少年、フランキー・ブラウン (Frankie Brown) は包囲戦の最中に被弾して死亡し、しばしば見習い兵の戦死者として扱われることがあるが、彼が見習い兵だったというのは、ありそうにないことである。名簿に記載された見習い兵の最年少者は、11歳であった。 包囲戦の終了後、24名の見習い兵たちは、マフェキング防衛記章を付けた女王の南アフリカ勲章を授与された。
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