西暦680年代の西サクソン領(キャドワラ即位時の時代背景)
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9世紀末、西サクソンはイングランド南西部を占領した。この地はどこにあるか現在では特定できていないが、これにより西サクソン領土の西はブリトン人の住むドゥムノニア(現在で言えばデヴォン州とコーンウォール州)となり、北にはウルフヘレが統治するマーシア王国と国境を接する事となった。674年王位はウルフヘレから軍事行動に消極的な兄弟エゼルレドに代わり、北部は以前より脅かされる事は少なくなった。にも関わらず西サクソンはウルフヘレが起こした戦乱の傷跡からいまだ立ち直ってはいなかった。この時代の西サクソンは南東部に南サクソン(後のサセックス王国)が隣接しており、東にはロンドンを抑えていた東サクソンと隣接していた。 。 アングロサクソン年代記は全ての地域を記述しているわけではないが、明らかに当時の西サクソンの紛争地域はサマセット州北部、グロスターシャー州南部、ウィルトシャー州北部で、ブリトン人、マーシア勢力と対立していた。西部南部での西サクソンの伸張を示す証拠として642年から673年に王位に就いたチェンワルホ、チェントウィネ(676-685)が挙げられよう。チェンワルホはサクソン人として初めてドーセット州のシャーボーン修道院の庇護者となり、チェントウィネはサクソン人で初めてサマセット州のグラストンベリーの庇護者となった。従ってこの地は既に西サクソン領となっていた事を示している。西サクソンの庇護を受けた聖ボニファティウスはこの時代に教育を受けていた事からデヴォン州のエクセターは680年には西サクソンの勢力下に入ったものと思われる。
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