西口駅舎との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 02:18 UTC 版)
「大宮駅 (西武)」の記事における「西口駅舎との関係」の解説
当電停は大宮駅の西口に存在した。大宮の中心部とは反対側であった西側は、当時はいわば駅裏として扱われていた。省線(当時は日本鉄道)が通った頃にはまだ一面の田園地帯であり、需要がないために駅の入口すら設けられていなかった。 その状況は当電停が開設された1906年頃もほとんど変わらなかった。このため会社側では、駅舎の改札部分に直接跨線橋をつなぐかたちにして省線の出札口と改札口を設け、当線から、もしくは当線への乗換客のみを扱うようにしていた。つまり当電停を介して西口に改札はあったものの、外部から省線に乗車する乗客を受け入れるかたちにはなっていなかったのである。 しかし、大正時代になると市街地の拡大が西口にも及び、この一帯が住宅地化して住民が急増したため、西口開設が切に望まれるようになった。このため鉄道省では、1926年(大正15年)2月14日に西口を開設した。この西口の駅舎は当電停の駅舎の南に設けられ、西口の駅舎から出た道と当電停の駅舎から出た道とが途中で合流し、同一の跨線橋で省線駅に入ることができるように整備された。その詳細には不明の点が多いが、いずれにせよ西武側も省線側もこの開設に当たって一定以上の駅舎の新築や増築、改築を行ったことは確かである。 なお西口駅舎から当電停に入ることも可能であったようで、駅舎には「西武電車」との看板が掲げられていた。また「川越行バス発着所」とも併記され、川越方面への乗合自動車が発着するようになっていた。
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